夏の空をつなぐ

気まぐれ(にしたくない)日記。

8月301日(5月28日)

金曜日。朝からずっと雨で、どうやら日曜日までこの雨が続くらしくて少し憂鬱。この土日はfully vacctinatedになってからはじめての休みだったのでちょっとダウンタウンの方へ足を伸ばそうかなと思っていたのだが、引きこもることになりそう。

昨日は+さんとテレコンをして、計算の最終的なチェックや図の確認まですんで、論文投稿直前というゆーところまで。結局1年くらいかかってしまった。

今日はnon-DC SUのIC modificationのimplementationとglass makingがうまくいっていないことの原因探り。前者は結局IC generatorの細かいところまで理解しないとダメぽいことが判明して、結局ほとんど一日中それに費やすことになった。後者は試しにglassのpower spectrumを測ってみたらminimal powerのk^ 4ではなくk^ 2くらいのスケーリングになっていたので何かおかしいなと沼に入ってしまった感。Leanだとうまくいかないのかもしれないのでfullで試そうとジョブを投げてとりあえず終了。

来週からcoffeeなどは対面に戻るらしいけど、どんな感じなのかわからないので少しこわさもある。通常営業に戻るに際してback to the old summer daysなんて言われたものだから完全に頭が智代アフターになってしまって、懐かしのKey曲をループしながら作業して完徹してしまった。

ホモソ話の記事をチラッと読んで、"The black woman stole my job."の分析については男性の隠れた特権意識とゆーことでいいのかもしれんが、しかしこの辺りの話は財の再分配の話でもあり、そもそも撤退戦になってしまっている中でやらないといけないとゆーのが厳しすぎるんだよなと最近はとみに感じる。全体のパイ自体が小さくなっている中で多様性の確保しようとするのが無理筋な気がしてしまうのだが、こういった問題系をとりまく全体的な流れや世代間の格差といったものを傍に避けて、ジェンダー意識の問題とゆーことで片付けられてしまうとなんだかなあとなる(むろんアカデミアにおけるアファーマティヴアクションを横目に自分にとっても他人事ではないなと思われはじめたからこんなことを考えてしまうようになったわけだが)。つまるところ多様性を確保したかったら、そもそも全体の数自体を増やさないと(多様性の「多」を確保しないと)どうしようもないとゆー認識がどの程度あるのか。 まあそもそも一人の人間の人生の問題は全体的な統計の問題ではない(し無関係な)のだ、とゆー話なのだが。