8月33日
今日は毎年恒例(?)の美郷あきのbirthdayアコースティックライブ@吉祥寺。個人的にはMaple LoveとCalling、それからSpread Wings.とBeautiful flowerをアコースティックできけたのが一番うれしかったかな。その他にももちろんさよなら君の声がまた聞けたのもよかった。まったりゆったり空間で、本当に心が安らぎました。
神の存在証明の試みと他者の存在証明の試みの同型性。(他人ではなく)他者の存在を言わんとする言葉たちはいくら繰り返されても、いやむしろそれが繰り返されてしまう/反復可能であるとゆーこと自体が、他者を他人に頽落させてしまい、その不可能性を自ずから示してしまう。しかし、それらもろもろの言明の指し示す方向に他者は実在する。他者は心の理論や(他我の)認識問題にあるのではなく、この語りの試行そのものに他者の実在がある。cf.「われわれは善の方向への努力を繰り返すが常にそこから落ちる。しかし、それらもろもろの善行の指さす方向に神が実在する。」
などと喫茶店で本を読みながら考えていましたが、まあ否定神学だと言われるのだろうなあ。
8月22日
昨日までは涼しかったのが、今日は途端に夏の暑さが帰ってきた。とはいえそこまで酷暑とゆーほどでもなかった。
昨日からBiPoSH関連の仕事が着実に進んでいて少し気分が良い。それ関連でtea timeに*さんと話していたら、spin-sのobservableの話になり、4th momentはそのまま定義の式は使えないのかと言われた。どうなんじゃろ。
りゅうおうのおしごと9巻。うーん、結局天衣ちゃんも人間に堕ちちゃったかーとゆー。5巻で主人公が人間になってしまったあたりで悪い予感はしていたけれども。。。神になれないことを悟っている人間が人間なりに頑張るのは好きなのだが、逆に神/天使だったものが堕天してしまうのは個人的には悲しみと罪悪感しか残らない。あとは明確に天使になりたがっている銀子ちゃんに望みを託すしかない。
政治哲学の本をパラパラ読んでいたら、中世の法についてなかなか面白い記述があった。中世では古くからある規則と法との区別が存在せず、そもそも法とは古く、そして良いものだとゆー法意識だったらしい。つまり、封建社会には立法概念がまだなかった。とはいえもちろん新たな法を作る必要に迫られることもあり、そーゆー時人々は新しく法を制定するのではなく、隠されていた既存の法を「発見する」と考えたようだ。「法とは古いものなのであり、新しい法というのは一つの矛盾なのである」(『中世の法と国制』)
8月365日
平成最後の夏らしい。なんでも人は区切りをつけ、枠に押し込めて、パッケージ化したがる。その実在を確かめるために。そうして無限の追憶がこぼれてゆく。
先週は一年ぶりにドイツ。疲れた。けれど充実はしていた。たとえ一時の夢だったとしてもそう思わされてくれるだけの感触が確かにあった。それでもやっぱり海外生活はまだまだストレスフルで、将来を考えてしまう。
今日はそろそろ本格的にやらねばなと思って久しぶりにBiPoSHに取り掛かる。なーんか%さんたちの結果と僕の計算結果が合わなくて困惑。
最近は本当にいろいろなことが不安で仕方がない。僕はそろそろ多くの事を諦めてしまうことを強いられるのではないかとゆー恐怖。かつてはとても大切だったものに対しての感情の向け方が変わってしまっていることへの戸惑い。僕にとって一体何が大切だった/なのだろう。
8月344日
夏らしい気持ちの良い快晴。
@さんからようやく返事が来ていて、やっぱりCFCでの計算はかなり適用範囲が狭そうだからglobal coordinateで計算すべきだねーとなった。shouldn't be any harderとあったがホントか……とゆー感じだ。
今日はちょっと気持ちを入れ替えて&君たちとやっている仕事のノートを追記する。5月くらいに一回理解したと思ったのだが、その時にノートに書かなかったので結局もう一度議論を追いなおす羽目になっている。が、まあ何をやればいいのかはわりかし明確にわかるし、目に見えて進捗があるので精神衛生的にはよい。
土曜日は#君たちらと焼肉。ちょっと高かったがおいしかった。やはりQOLに直結するのはお金だ……。
『ファイフステル・サーガ』を読んだりして、久しぶりにファンタジー戦記物を読むと謎の安心感があるなあと。恒常的に何か追っているファンタジー戦記物を持つべきかもしれない。
ところでエルフと幼なじみってめちゃめちゃ相性いいのでは???