夏の空をつなぐ

気まぐれ(にしたくない)日記。

8月253日

 先週はほとんどreferee reportへのresponseと論文のreviseでつぶれた。金曜日にはなんとか終わらせて、ボスに送って、週末にはresubmitした。
 木曜はGRゼミをやったはず。CFC論文は絶対に次回で終わらせよう。
 金曜はcosmology group meetingで、前半は@さんのセミナー。どうやってredshift-spaceのpower spectrumを測ってから3D real-space power spectrumをreconstructするかとゆー話(たぶん)。後半は=君がhalo model(でRSDを考える)論文の紹介。人が英語が聞き取れてなくて困ってるのをみるのがつらい。
 
 昨日は注文していた本棚がやってきたので、その組み立てと部屋の整理で一日つぶれる。組み立て始めたら、電動ドライバの電池がないことに気づいて買いに走るとか、ネジ頭がなめてしまって、その対処に一時間くらいかけるとか、もう散々だった。いまだに体の節々が痛い。何がって、結局部屋の中にある本は全ては片付かなくて、成果はせいぜい床がみえるようになったとゆー程度なのが絶望を誘う。ちょっと真面目に本を減らさないといけないのかもしれない。
 本棚を組み立てているときは、BGMとして適当にアニメソングorゲームソングのメドレーを流していたのだけれど、ゼロ年代後半の曲が流れてきて懐かしさに押し潰されそうになるのはもうしょうがないと思えるようになってきた一方で、10年代前半の曲が流れてきたときに受ける衝撃が凄まじくて、本当にショックだった。個人的な感覚としては、10年代前半なんてついこの間のことのようなのに、なんだかもう手の届かないところに行ってしまったような気がする。あるいは、僕だけが完全に10年代前半に取り残されていて、それでも時だけは淡々と過ぎていっていることが逆説的に実感される。時が過ぎてしまうという、ただそれだけのことに本当に耐えられない。

 最近は、死にたいと思えるときに死んだ方が、特にそう思っていないときに死んでしまうよりも幸福な生なのではないかとゆーことをよく考える。