夏の空をつなぐ

気まぐれ(にしたくない)日記。

8月209日

 大晦日あたりから完全に鬱で、ほとんど何も手につかなくなってしまっていた。本当にひどい冬だった。今月の京都出張もキャンセルさせてもらってしまい、ただただ申し訳なさが募る。他にもreferee reportに対するreponseやら、pGWのアレとか、色々やるべきことはあったのに、最近になってようやく何とかなってきて、ようやく日記も再開しようとゆーところまで持ち直してきた。
 pGWの話は二転三転、上手くいきそうやっぱダメそうが一週間周期くらいで繰り返されていて、それも精神衛生にかなり悪影響を及ぼしていたように思うけれど、そもそも研究はそーゆーもんだとゆー話を度々聞くので、やはり僕は向いていなさそうだなと改めて感じた。

 今日はさよならの朝に約束の花をかざろうをみてきた。ちょっとしたサイクリングも兼ねて蘇我まで出たけど、比較的今日は寒い日で、もうちょっと防寒ちゃんとしていけばよかったなとゆー後悔。
 映画は完全に胃が痛くなるやつで、なんでここまで僕がしんどくならないといけないんだと思わされたりもして、終わった後には息が上がっていた。第一印象はついったーで吐き出して、それで気力が尽きてしまったのでそっから切り張り。
 おそらくマキア(とエリアル)の完成度の高さについては多くの人が語るのであろうし、おそらく僕もその素晴らしさにはほぼ同意すると思うのだけど、映画全体を通して僕がずっとみていたのはマキアとゆーよりはレイリア(あるいはクリム)だったように思う。長寿命種のイオルフは別れの一族で〜とゆーあたりは凪あす的設定を素直に拡大したんだなーとゆー納得感があったのでそのままスルッと流してしまったけれど、終わってみると、二時間映画でこの密度でこんな話やられると物語を外からみてたこっち(とゆーか僕だけかもしれませんが)こそイオルフ的存在(あるいはレイリア/クリム的存在)で「取り残され」ているんだなってのが強く実感される。パンフの1ページ目に「永遠の一瞬」とあってびっくりしたけれど、まさしく、マキアたちの物語は「永遠の現在」ではなく「永遠の一瞬」であって、しかしだからこそ僕は前者の影に見入ってしまう。正直、最後にレイリアはそのままメザーテに残って、ある意味で(長寿命種が人間の子を育てるとゆー)マキアの後追いがようやっとできるようになるんだ(そして、それがレイリアにとっての救いなのだろう)と思ってたので、レイリアが飛んだのはちょっと意外な感があったものの、確かに産まなかったけど育てた/産んだけど育てられなかった二人が一緒に飛ぶとゆー綺麗さで理解はできる。それでも、あそこで飛ぶことが救いなのかどうかは全くわからなくなってしまった。
 あとはついったーにはちょっと個人的過ぎて書けなかったけど、やっぱりこーゆー「家族」モノは個人的体験からしてみるのが大変きつくて体力をさらに消耗させられたってのはあった。それでも、今回のは単なる「家族」モノにはなっていないところが素晴らしかったのだが。
 落ち着いたら二回目観に行こう。