夏の空をつなぐ

気まぐれ(にしたくない)日記。

8月280日

 完全に寝GWだった。正確には寝ているとゆーか、目が覚めていてもおふとんから出られないで、結局30分睡眠みたいな中途半端なものを断続的に繰り返してしまうとゆー最悪な状態なのだけど。その時は安心感に包まれていても、起き上がって活動して始めると途端に不安と後悔が襲ってくる。
 季節はすっかり夏めいてきて、お昼に外に出るとちゃんと暑い。まだ蒸し暑くはないんだけど。

 今日はDucaの4thライブでなかのZEROまで行く。3rdのときは行けなかったので、今回はとりあえずはやめにチケットと日程をおさえておいたら、まさかBGM Liveと被るなんて。と思ったりもしましたが、結果的にはこっちに来て大正解だったぽい。ラムネ、アイの庭がきけたのは言わずもがな、光の溢れるときにはがきけたのもよかった。ラムネはそうでもなかったと思うんだけど、アイの庭はCD音源との歌い方の感触の違いがちょっと印象的だった。特に、サビのところの「アイの庭」の歌い方の圧が強かったのはちょっと違和感があった。光の溢れるときにははもう大分、たぶん年単位できいてなかったんだけど、改めてきくといい曲でびっくりした。「星を数え 月と眠り」あたりにビビッと良さを感じるあたりに年を感じる。うたてめぐりやろうかいなとゆー気分になった。あとは、確かラムネのあとが銀色遥かvocal songsでコイイロセカイ・beloved storyだったと思うんだけど、ライブでまだやってないゲームの楽曲聞くとやっぱりtone's works作品そろそろ崩さないとなーと思わされる。しかしやっぱり長いらしいからな……。
 瞬間風速的にはやっぱりstrings quartetteでアイの庭がきけたのがすごくて、思わず泣きそうに、とゆーかほとんど泣いてたんだけど、ラムネの方はじわじわと胸の奥から僕の過去を掘り起こして僕の心を蝕んでいき、高校のときに安瀬聖が好きな友人がいたなあとゆーことを思い出させた。たぶん彼との馴れ初めは、学年が上がって新しいクラスになったときに名前の順的に咳が前後で近かったとかそんなことで、たまたまお互い数学や物理が好きだったとか、彼は美少女ゲームはやらないマンだったけどピアノは弾く人間で安瀬聖が好きだったとか、そういった偶然が積み重なって、卒業までよく話した相手だった。Duca 1stアルバムを予約して買うと安瀬聖のピアノアレジver.が入ったCDがついてくるとかで、彼と一緒にそれをきいたりしたのも懐かしい。むろん、ここで思い出した「偶然」は遡及的に作り出されたものに過ぎず、本質的に偶有的だったのは学校の教室とゆー閉鎖空間で物理的に近い距離に置かれたことなのだろう。高校卒業してからは、そーゆー起源の強制力がなくなってしまったからか、彼とはぱったり会わなくなってしまった。元気にしてるかなあ。
 結局僕が大学でほとんど友人をつくれなかった(しかし、友人をつくるってなんだ?関係性の発明?)、そういった強制力が働きづらい場所だったからなのだと思う。それは自由と呼ばれたりもするのだろうけれど、ときに自由は現状維持にしかならない。そもそもが人見知りでコミュニケイションが苦手な人間にとっては、ゆるい強制力、ある種のパターナリズムみたいなものは必要悪だったのかもしれないなとゆーことを最近は考える。学部のときに学科の人間と話すようになったきっかけも理論演習のセミナーだったし、大学院に入ってからだってセミナーで話す人以外とは全く話をしない。僕はどうがんばっても連絡無精だし、たぶんこれからもずっとこうなんだろうなとゆー予感がある。
 しかし大学に入ったときにゼロ年代美少女ゲームの話が通じる人間が(僕のめちゃくちゃ狭い観測範囲内で)いなかったのは大分ショックで、無意味に失望したりしてたなあ。