夏の空をつなぐ

気まぐれ(にしたくない)日記。

8月211日

 昨日は少し遠出してパンケーキを食べに行った。冬限定メニューにフレンチパンケーキがあったので、限定という言葉に弱い僕はスフレパンケーキではなくフレンチパンケーキを頼んでしまった。美味しかったは美味しかったけど、僕が食べたかったのはやっぱりスフレパンケーキだった。帰り際にふと張り紙が目に入って、なんと今年度末で閉店だと書いてある。閉店までにもう一度行って、スフレパンケーキを食べねば……。
 カフェでは河野哲也氏がGibbsonをベースに論を展開している某本を読んでいたのだけど、こういうところで一般向けの解説書みたいなものを参考文献として引用するのはどうなんだろう。物理の人間からするとかなり違和感があるけれど、哲学系だとそういう文化なのだろうか(人文系だと出版された本が論文と同じように、あるいはそれ以上に学術的に評価されるとゆーことを踏まえて)。具体的には、蔵本由紀氏の『非線形科学』を引用して、環境に埋め込まれた現象を環境から切り離して取り出してくることで見失われる本質があることと類比的に、心を非人格的な、脱身体的なものとして取り出してくることを語り、デカルト的考えを論難するくだり。このあたりはかなり違和感があって、その後の「考える」とゆー動詞が指す内容についての議論についてもちょっと首を傾げさせられる。まあ違和感が読むのを邪魔をするのだけど、基本的には魅力的な方向だと思うので放り投げることはしない。

 実家に置いてある本を取りに半年ぶりくらいに実家を訪ねる。実家の自室には高校〜大学教養くらいまでの色々が積み重なっていて、ついついひっくり返して眺めてしまう。こんなことを思ってしまうなんて自己嫌悪に陥るんだけど、どうしてもあの頃はよかったなあなんて感傷に浸ってしまう自分がいる。連絡が取れなくなってしまっている人もたくさんいて(とゆーより、ほぼ全員)、今この瞬間にひとりであるとゆー事実よりも、失われてしまったものがあるとゆーことに対して寂しさを感じる。それでも僕はこんなことを繰り返してゆくのだろう。
 自分一人が取り残されてゆく感覚がずっとある。少しの間薄れていた感覚だったけれど、最近とみにそーゆー感覚を思い出す。


 今日はSmootの講演で本郷。帰り際に予約エロゲーを受け取ってくる。花粉はそんなに飛んでいないそうだけど、花粉症がひどい。