夏の空をつなぐ

気まぐれ(にしたくない)日記。

8月142日

 今日から某シンポで仙台出張。青葉山キャンパスは市街から10分くらいなのに、何もない本当にいいところ。シンポは思ったより参加者が多くてびっくりしたのと、発表とその質疑応答がかなり圧があってつらかった。
 夜は喜助で牛タンを食べる。おいしい。

 昨日の夜はうたわれLIVE。ちょっと箱に対して人多すぎ感があった。のはともかくとして、まさかうたわれ楽曲が全部(!)きけるとは。特にPC版EDの永久にとか、OVAのOPのadamant faith、EDの夢のつづきがきけたりしたので、本当にいけてよかった。はやく偽りの仮面と二人の白皇やらねばな。

 そういえば、先週のどこかの段階でFGO七章を終わらせたのだった。凛シュタルとかギル王とか過去の遺産を食い潰すことによる面白さも大きかった気がするけど、久々に奈須きのこの圧倒的な人間賛歌ポエムが楽しく読めて幸せだった。しかし、久々にこの感覚を思い出したのだけど、奈須きのこの人間賛歌の圧倒性とゆーのは、出てくるガジェットのせいで一見超越的なものに感じられるかもしれないけれど、むしろ超越論的なものだなと感じた。

 久しぶりにいんたーねっとをみてしまったら、僕はやっぱり全ての人間が憎いんだとゆーことを思い出してしまう。なぜ人間と人間は交流してしまうのか。あるいは、もっと単純になぜ人間は自分以外の人間に目を向けてしまうのか。全ての人間に対する失望と絶望感。やっぱり僕はそもそもどうしようもなく人間が嫌いで、そこはどうがんばっても克服できないんだとゆーことが思い出された。
 ランダム再生でKomm, süsser Todが流れてきて、I know we can't forget the past.とI've lost everything, everything, everything that matters to me, matters in this world.あたりで完全に死にたくなってきた。

 不可能性=他者性みたいな議論はもううんざりで、その内容云々ではなくそのうんざり感ゆえに嫌いなんだけど、しかし結局可能性=他者性とゆーのもこの事態を裏から言い換えただけで何も変わらないであろう。しかし、その態度変更こそが大事だと言えばそれはそうなのかもしれない。
 しかしそれにしても大事なことは全て過去の自分が言っているとゆー気がしてきた。過去と幸福を大事にしたい。

 M論が本当にしんどい。