夏の空をつなぐ

気まぐれ(にしたくない)日記。

8月85日

 暗くなってから自転車を走らせるともう完全に冬の冷たさを感じるような季節になってしまった。手袋を買わないとね。

 先週は4thライブの余韻がずっと体から抜けてくれなくて、夢心地のままひたすらに数値計算をしたり論文を書き進めたりしていた。4thライブのセトリを流したりしていたわけだけど、Heart Voiceが好きな曲だとゆー発見があった。
 論文はようやく形になりそうで、来月の広島出張までにはarXivに上げたい。しかしようやく論文が出来上がりそうだとゆー段階になって感じるのは、僕がやった仕事は全然面白くないんじゃないかとゆー不安で、ボスが面白い面白いと言ってくれているからまだ何とかやっていけているものの、本当に簡単なことしか出来ていないように思えてくるし、こんなのは誰でもできる気がするし、単にこれまで論文が出されていなかったのはあまりにもtrivialな問題だったからではないかとゆー疑惑が消えてくれない。
 金曜日はキャンパスの一般公開で、まあそんなこととは関係なくいつも通りやっていたわけだけど、一般公開を見に来た外部に人向けに研究所見学ツアーなるものが行われていたらしくて、lunch journal clubのときにセミナールームの外からジロジロ覗かれて大変気分が悪かった。研究者は見世物じゃないんだけどなあ。
 昨日はみなと魂。みなとそふとがもう10周年だとゆーのは衝撃。とはいえ個人的には思い入れがあるのはまじこいくらいのにわかファンで、まあそれなりに楽しめはしたのだけど、終始のることができずなんだか微妙な気持ちになってしまった。特にライブパートで声優さんたちのライブの後にみゆきちKOTOKO美郷あきとくると明確に巧さのが感じられてちょっときつかった。とはいえゼロ年代オタクなので、やっぱり伊藤静&浅川悠&後藤邑子の安心gdgdコンビのgdgdトークには大変癒されたのだが……。
 先週の4thライブと合わせて考えるに、こういう/ああいうイベントは別に歌唱(力)単体とかダンス単体とかを消費しているわけではなくて、やっぱりコンテクストとゆーか物語を消費しているので、そこの土台が弱いまま参加するとかなり厳しいのだろうと。アニメ本編をみないまま総集編ライクなスクリーンショット見せられても基本的には茶番感のみが残ってしまうとゆーか。(イベントの)解釈枠がどうしてもズレてしまうので。総集編的SSの強みはやはり速度なので、それが感じられなかったのは致命的だった。
 そういう意味では、やはり新海誠は特異なクリエイターだったのだろうと一瞬思ったけれど、新海誠のコンテクストって圧倒的な現実で、日常的に我々が目にしている何気ない風景に光を当てて、それこそ倍速で「日常風景」を再構成できるのがすごかったのだろう。

 今日は研究所の9th anniversaryで、昼ごはんがタダ飯だった。機構長のお話やら記念写真撮影やらなにやらの後、オーケストラによる演奏会があったんだけど、演奏曲がゼル伝のテーマ曲でまじかいなとなっていた。懐かしすぎて死にそうだった。数学の&先生がクラリネット吹いてたのがちょっと意外。

 なんか最近のコンテンツ消費で一つ日記に書くのを忘れてるなと思っていたのだけど、そういえば映画聲の形をみに行ったのだった。本当にしんどい映画だった。そもそも設定がかなり特異なので、設定からすぐに目に付くいじめとかそういった中途半端な一般性は取り出せなくて、むしろ「コミュニケイションの困難」みたいなかなり大きな一般性が抉り出されている。終始緊張感を強いられるとゆーか、まあ僕言葉ではしんどい映画で、観終わった後は本当にぐったりしていた。贖罪に対する赦しがあるわけではなく、そもそも贖罪をはじめられていたのかどうかすら怪しく、コミュニケイションに始まりや終わりなるものが存在するのかどうかが宙に浮かばされていくので、大変つらい。一応字幕つきも観に行ってそれでもなおもう一回観に行きたいのだけど、本当に体力も精神力も消耗するので流石にもう無理かなと思う。
 個人的には妹の結絃君が可愛かったね・・・とゆーのと、植野とゆーキャラはすごくよいと思った。

 だーまえtweetをみて久しぶりにNostalsiaをきいたりしたのだけど、ゼロ年代エロゲースクリーンショットが頭の中を巡って涙が出てきてしまった。
 最近確実に涙もろくなっていて、これも年のせいなのかなと益体もないことを考える。