夏の空をつなぐ

気まぐれ(にしたくない)日記。

8月171日

 昨年末あたりから大分日記つけるのをサボってしまったので改めて。

 年末にiPhone 6sへと変えてからデレステFGOをはじめてしまった。世界がどんどん悪くなってゆくのを感じる。

 去年あたりから平均月一回くらいのペースでライブやコンサートに行くようになった。現場にいるときの高揚感はえも言われるものがあるのだけれども、帰ってからの虚脱感がひどく、イベントに参加してから数日は生きた心地がしない。去年の暮れには、28日にInnocent Greyの10th anniversary concert、29日にspriteの1st LIVEに参加。イノグレのコンサートは文句なしに素晴らしく、ストリング系も含めすべて生演奏で、オーガストのコンサートを思い起こさせる完成度の高さ。チケット抽選申し込んだときは軽い気持ちだったのだが、本当に参加できてよかった。spriteの方は14年のpurpleのLIVEに引き続き冬コミ一日目の午後からで、体力的にきついものがあったというのもあるかもしれないのだけど、どうしても前日のイノグレコンサートと比較してしまって、物足りなさを感じずにはいられなかった。

 冬コミ。色々なものに対する熱意の減衰を感じた。

 年始の休みに一本くらいエロゲーをクリアしようと思っていたのだけれど、結局完全な寝正月に終わる。

 昨日一昨日で『ガラスの花と壊す世界』とガルパン劇場版をみてきた。ガラスの花〜の方はいくらでも褒める言葉は出てくるし、個人的にも好みではあるのだが、これを対外的に薦めるのは少しばかり気恥ずさを感じてしまってできない。そんな作品。ガルパン劇場版は高校オールスターvsポッと出の銀髪ロリ率いる年上強敵集団といった構図からまあズルいのだけれど、そういうズルさが僕のような捻くれたオタクに生むためらいをもどっかに飛ばしてしまう突破力みたいなものに完全に負けた。ストーリーだって分かりきっているのに、どこかハラハラさせられてしまうのは単に僕がちょろいだけなのか。最後の舞台が遊園地で、あの辺を見ながら80年代〜90年代くらいに流行った(?)ディズニーランド論が頭にちらついていたのは僕だけなのだろうか。
 どちらの作品でも、幸福な過去の追憶を提示するのに断片的なスナップショットを無音でつなげていくとゆー形式がとられていて、ある意味で新海誠ちっくなその手法は大好きなのでどんどんやって欲しいのだが、幸福な日常を提示する際にこのような形式がとられる必然性みたいなものってあるのかしら(あるような気がしている)。音、とゆーか台詞、もっというと言葉を排除する必然性。

 数日前から『さよならピアノソナタ』を読み直している。既に心が痛い。