8月251日
先週は日曜日からインフルエンザを発症して本当に倒れていた。病気は生きるのが本当にしんどくなるのでいやだ。とても日記どころではなかった。
今日から某workshopでまた京都。この時期にたぶん京都に来たのは初めてで、基研の前の桜が咲いている光景は初めて見た。
#さんと数ヶ月ぶりに会って、#さんが最近やっていた研究について話を聞く。シンプルなアイデアだけど面白いなあと。あーゆー研究に憧れる。
明日のトークの準備がまだ終わっていない。
今日はふとtwitterで最近の哀しみについてpostしたら、*さんから@が飛んできて、久しぶりに(といってもたぶん一ヶ月ぶりくらいなのだが)余生について考えることとなった。かつてあったかもしれない過去・未来への(通常の意味での)憧憬ではなく、かつてもあり得なかったような、予め失われてしまった過去や未来に焦がれてしまう気持ちこそが問題なのだとゆーことを忘れないようにしたい。
8月235日
また冬が来てしまった。寒い。
夜に&君たちと会ってジンギスカンを食べる。いまいち羊肉感はしなくてちょっと悲しいかった。
%君は転職活動をしているそうで人生に悩んでいたが、たぶん僕の人生が一番不透明なんだろうな。
キミの忘れかたを教えて2巻を読む。巻単体でみるとこっちの方が正しくタイトル通りの内容だった気はするけど(むろんタイトルは作品全体の象徴なのだろうが)、1巻ほど刺さらなかった。あとがきですごく入れ込んでしまって大変だったみたいなことが書いてあったが、この具体性が僕には実感できず。しかし初恋拗らせに大きく振られていたのでいまいちわからなかっただけで、そもそも何かもう一生手に入れることができないものをそれでもずっと追い求めてしまう感じとかは完全に僕の幼なじみ拗らせと同型な気はして、その拗らせ感に共感はあったかな。
8月233日
イチローが引退するとかで、なんとなくその会見を見ていた。質問は難しいんだなあって。
その前はラジオで平成インターネット史(仮)を聞いて懐かしさに浸っていたってのもあるんだろうけれど、もちろん日々何事かが終わっているにしても、こうも平成を象徴するようなものの終焉が続くと、本当に僕は過去に生かされているだけで未来への渇望みたいなものが皆無であることに気づかされる。仮に平成の終わりみたいな区切りがなかったとしても、2010年代はゼロ年代の終わりとして僕の中で記憶されていたのだろう。自分がゾンビになってゆく感覚。
最近は日々が常に哀しみに彩られていて昏い。
全然ちゃんと日記に書けてなかった気がするけど、昨年はさよ朝、リズ青、あさがおと加瀬さん、のんのんびより、ANEMONEとアニメ映画がすごく豊作だったので、どこかでちゃんと感想をまとめておきたい。あとは今年入ってからの復活ルルも。